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Last UP Date: 2005年11月30日

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月刊プチ通信 2005年12月号

義務教育から美術が無くなる前に・・・

文部科学省への陳述書

今回の記事は今年最後にして非常に重たく、暗い内容になってしまった。
これは、文部科学省にて近々行われるであろう教育指導要領改定に伴い、 義務教育内での美術の授業を他教科とひっくるめて“選択教科”にするのではないかと言う動きに対し、 もう少し慎重に議論を重ねるべく文部科学省に提出した陳述書の中の一部である。

-------------以下が内容である------------

これは一つの可能性の話。

バーチャルな日常と結果主義、保守的で立場優先、名誉欲と底を知らない物欲。
現在の子どもたちを取り巻く環境は決して精神面で健康的といえる状況ではないのではないか。
学校ではちょっとした突っ込んだ質問に答えられない先生、テキスト中心で全くリアル感の無い授業、 英語の教員が美術を教えていたり、走り高跳びができない先生が体育の先生・・・。

家族のいない家、小学生にして一人暮らし同様の毎日。
親と言えば家事をこなしてお金を持ってきてくれる人。
仕方が無い。親子のコミュニケーションを取る機会が無いのだから。
子どもは家でゲーム、携帯電話でメール、 インターネット・・・その内リアルな刺激、ライブ感を求めて街へでる。

刺激を受けて変わり行く我が子。
この頃はにもう高校生、早ければ中学生。心配になる親は子どもへの干渉を強める。
幼児期に精神的な援助を受けれず、子どもながら無い頭と経験で何とか親無しで解決してきた子どもにとっていきなり現れた “煙たい存在”それが始めて意識する“親”かもしれない。

学校は校舎を塀で囲まれている。
これは大人の世界の汚い部分や危ないものから子どもを守る為と言うが、 情報過多の現在、学校の校舎が物理的に守っても知識は必要なものも無駄なものも、危険なものも入ってくる。 学校内のパソコンルームでインターネットができれば、灯台下暗し。

子どもは見ている。
バブル期には働けば働くだけの対価があった。しかし、バブル崩壊によって無一文。億ションは売ってもなけなし。 そこで子どが学習した事は、「ホントの勝者は吐いて捨てるだけのお金を持ってる事。努力は報われない。」

少年や青年の犯罪が増えているが、概ね幼年期にバブル崩壊を経験している世代である。
数百円の為に車上荒らしになる。数千円欲しくて人を殺す。人を殺してみたかったとホームレスをリンチ。 愛情表現の方法が分からなくて、思いが募り募って相手を殺害。時間厳守により目の前の怪我人を放置・・・。こんな事件が多すぎる。

欲しいものを得る為ならプライドも捨てる。
名誉や金の為に圧力を掛ける。名誉や金の為に圧力に屈する。名誉や金の為に口を閉ざす。

生活保護の方が楽で得だから年金は払わず生活保護を受ければ良いと考える若者が増えているらしい。
これはプライドの欠片も無い。生活保護はまっとうに生きて来た者が、思いもせず不幸に見舞われた際に適応されるべきもののはず。
ニートやフリーター、引きこもりを専門に見てきたある人の話では、働かずに生活保護を受けようと考え、 診断書を書いてくれる心療内科なり神経科を探すインターネット上の情報サイトも存在するらしい。


お金は奪うなり、騙すなり、まっとうに稼がずとも手に入る。お金があれば綺麗な伴侶も手に入る。 その伴侶は実はお金で美貌を手に入れていたり・・・。便利で良い眺めの場所にも住める。でも、もしかしたら欠陥住宅・・・。 欲しいものは手に入り、行きたいところには行ける。だから夫婦生活も円満。その影で愛情に飢える子ども・・。
親の注意を引きたくて起こす様々な問題行動。
リストカット、カンニング、ネット世界への引きこもり。 リアルな世界を捨てバーチャル世界の心地よさにどっぷり浸かるのか。

一言で言うなら嘘と騙しあいの世界。
自分自身ですら騙しながら生きている。
この世に存在するもを手にいれる方法はいくらでもある。しかし、この世に無いものはどんなに苦労しても自分で作り出さなければならない。

“人より速く走りたい”“人より強くなりたい”“人には歌えない歌を歌いたい”“心の中を表現したい”“今までに無い色の組み合わせ、 形を探したい”・・・。
これらは人から奪う事は難しい。自分がどれだけやったかが結果である。そして、“どれだけやるか”は個人個人のプライドである。
プライドを掛けても実現できないものは属性原理ではないか。それは潔く諦めるか、根気良く続けるか。単純明快解り安い。


昨今多く耳にする心の教育の問題。
自分の経験からすると、心が成長した時期やそう感じた瞬間と言うのは、自分と向き合った時や、 人と本気で体をぶつけた時、或いは心をぶつけた時である。
活字の並ぶ教科書でもそれを読み上げる教員の姿でもない。 ホームルームの時の担任の姿勢や、体育祭合唱コンクールなどの生徒と1体となって行う活動、或いは部活動や趣味の中で壁にぶつかった時、 「ああしなさい、こうしなさい」と言う親ではなく、自分のいない時に両親が真剣に自分について話し合いをしているのを目撃した時などである。

複合的な問題が多すぎて美術だけに焦点を絞っていくのは難しいが、美術に関して言えば、主要5教科に対して副科目と呼んだり、 ゆとり教育の中で実技系授業が無くなるのは、拡大解釈するならば「美術の授業をするぐらいなら遊んでなさい」 「美術の時間を取るぐらいなら受験勉強しなさい」と言ってるのと同じではないか。 これは全ての美術関係者にとって非常に悲しい出来事であり、美術、芸術文化の衰退を感じさせる。 子どもの全方向的可能性を潰すことにも反対である。

心の教育と言う点においても疑問を感じざるを得ないし、 美術の授業の時だけヒーローになれる子どもは評価される場を失ったままとなるんだろうか。 スクラップ&ビルドやゼロリセットは時には必要だと思うが、一度なくしたものを再び再建するのはたやすい事ではない。

美術は単に道具の使い方や色彩感覚、立体感覚以外にも、必要な情報を取捨選択する能力や1つの物事を多角度から捉える能力も養う。 どのジャンルにも言える事ではあるが、 美術が好きな子どもにとっては蟻の仕組みから宇宙の成り立ちまでもが美術と言う窓を通して見ることができるのである。

我々は子どもの可能性を排除する方向ではなくて、より広げていく方向でギリギリまで議論を重ねなければならないのではないだろうか。

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